リトルリーグとは

リトルリーグの歴史


リトルリーグは、1939年にアメリカのペンシルバニア州ウィリアムズポート市で誕生し、現在は30ヶ国以上で7123リーグ、約220万人(2010年度)の選手が加盟している国際的な硬式少年野球組織です。

1939年6月、同州に住むカール・ストッツ氏が、近所の子供達12人でチームを結成したのがリトルリーグの歴史の始まりです。当初は、わずか3チームの小さな団体でしたが、アメリカ各地に広がるにつれて「リトルリーグ」と呼ばれるようになり、世界にも広がっていきました。

1964年7月16日、アメリカのジョンソン大統領の署名によって連邦政府認可の法人となったリトルリーグは、ボーイスカウト、青少年赤十字団などと並んで「品性と勇気と誠実」を理念とする立派な社会活動の団体として広く認知されるようになりました。 
 

リトルリーグ世界選手権


1947年からはリトルリーグ発祥の地ウィリアムズポートの「ラマダ・スタジアム」で「ワールドシリーズ」(世界選手権、8月開催)が開催されるようになり、アメリカの8地区(北東部、西部、五大湖、中部、中東部、北西部、中西部、南東部)の代表と世界の8地域(アジア太平洋、南米、カリブ、中東・アフリカ、日本、カナダ、欧州、メキシコ)の代表、計16チームが参加して、ワールドチャンピオンをかけて熱戦を繰り広げています。 
 

日本でのリトルリーグの歴史


日本でリトルリーグの活動が始まったのは1955年頃です。東京の近郊でわずか5~6リーグの規模でした。
1964年はアジアで初めてのオリンピックが東京で開催された記念すべき年ですが、この年はアメリカでリトルリーグが誕生してから25周年にあたり、アメリカ本部からの呼びかけで「日本リトルリーグ野球協会」(現:全日本リトル野球協会リトルリーグ委員会)が発足しました。また、三井物産様、フジ・サンケイグループ様、明治製菓様などからも協賛をいただき、年々全国的な組織として拡大し、現在は12連盟、301リーグ、768チームが参加しています。

全国大会は「全日本選手権大会」と「全国選抜大会」の2つあり、全日本選手権大会の優勝リーグは世界選手権に出場します。2006年までは全日本選手権で優勝しても、アジア・太平洋地区選手権大会で優勝しないと世界選手権には出場できませんでしたが、アメリカに次ぐ世界2位のリーグ数・選手数などの運営努力が評価され、2007年からは全日本選手権優勝リーグがそのまま世界選手権に出場できるようになりました。
日本代表は1962年から出場しており、1967年(西東京リーグ)、1968年(和歌山リーグ)、1976年(調布リーグ)、1999年(枚方リーグ)、2001年(東京北砂リーグ)、2003年(武蔵府中リーグ)、2010年(江戸川南リーグ)と7回ワールドチャンピオンになっています。 
 

日本のリトルリーグ「連盟毎のリーグ数とチーム数」

連盟リーグ数チーム数
合計301768
北海道連盟717
東北連盟3593
信越連盟2764
北関東連盟2165
東関東連盟3087
東京連盟3598
神奈川連盟2263
東海連盟3572
関西連盟52128
中国連盟1224
四国連盟1025
九州連盟1532

 

世界選手権の会場「ラマダ・スタジアム」

(全日本リトル野球協会ホームページより抜粋・要約)